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2009年9月 9日

東京湾海底谷

東京湾内の水深は比較的浅く富津岬沖には「中の洲」と呼ばれる台地が広がる。一方、水深が浅いのは観音崎の北までで隣接する久里浜の南沖の海底は急激に深くなっており、海底谷が認められている。この「東京海底谷」には河川を通じて東京湾に流れ込んだ有機物が沈殿しており栄養が豊富な深海という特異な環境が、東京(江戸)の都市化とともに形成されてきた。そのためメガマウスやミツクリザメなど世界的に希少な深海魚が捕獲されることがある。

現在より100m近く水位が低かった氷河期には観音崎付近以北迄が陸地となっており、今の東京湾をなす海域の中央やや西寄りを利根川(利根川は江戸期初期迄中川筋、以降明治迄は江戸川筋が本流)、多摩川、入間川(江戸期迄荒川は綾瀬川筋で越谷で利根川に合流)等の現在東京湾に注ぐ川を集めて古東京川が流れていた。現在でも水深30~80mの海底にその蛇行する痕跡を見ることが出来る。 かつては武蔵国と下総国の間は広大な低湿地帯で通行に適さなかったため日本書紀、古事記でヤマトタケルが、また律令時代の東海道が相模国三浦半島より湾を渡って上総国房総半島へ至っている。鎌倉時代にも交通路として利用されていた資料が残る。中世には海賊衆も活動し、戦国時代には後北条氏と里見氏の水軍の争いの舞台にもなった。なお、一般に東京湾の旧称とされている「江戸湾(えどわん)」などの「江戸」を冠した呼称は、徳川家康が江戸城を根拠とした17世紀以後(使用が確実なのは更に時代が下った江戸時代後期以後)のものと考えられ、それ以前には単に「内海(うちつうみ)」(もしくは「内湾」)と呼ばれていたようであるが、同時に「内海」という言葉は古代・中世期に江戸湾の北東に存在していた香取海(古くは「古鬼怒湾」とも。現在は消滅)に対しても用いられているため、今日では古代の東京湾のことを「古東京湾」や「奥東京湾」、中世から近世までの湾を「江戸湾」「江戸内海」などと呼称する場合が多い。

江戸時代には菱垣廻船や樽廻船などの和船による水運が行われ、後期には外国船来航に対する湾岸防備のために品川沖に台場が築かれている。長らく鎖国状態にあったが、黒船来航の後に日米修好通商条約が結ばれた結果横浜港が開港された。

ちなみに幕末期、日本と国交を結ぶ前の米国では現在の東京湾のことを「ミシシッピー湾」と呼称していた。

環境保全
沿岸地域や流入河川の流域における都市化・工業化の進展に伴い、環境汚染が問題となっている。


沿岸の埋め立てに伴い干潟面積は大きく減少しているが、海水の浄化作用があること、海生生物や野鳥の生息に欠かせない自然環境であることから、残された天然の干潟に対する保護運動が起きている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

以前は汚染によりとても汚かった湾ですが最近は 干潟再生が行われきれいになりつつあるようです。

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